日韓通訳・翻訳の単語帳

主にキリスト教(プロテスタント)・ITの用語を収集します。たまに翻訳もします( ⊙‿⊙)

자투리 단어

비방 そしり
비방하다 そしる
배도 背理(はいり)
후미, 꼴찌, 맨 뒤 しんがり
모욕을 받다 はずかしめられる
세상의 더러운 것, 만물의 찌꺼기 この世のちり、あらゆる物のかす
정처가 없다 落ち着く先がない
기대를 저버리다 期待(予想)に反する、期待(予想)を裏切られる 、期待に背く
담대하라 勇敢でありなさい(요16:33)
雄雄しくあれ(신31:6)
돌자갈밭 土の薄い石地(いしじ)
가시떨기 いばらの茂み
(교회)상조부 互助会?

メッセージの翻訳(韓→日)

2017.11.12 メッセージ
へブル人への手紙の講解 (22) 「私のために、からだを造ってくださった」

御言葉

8 すなわち、初めには、「あなたは、いけにえとささげ物、全焼のいけにえと罪のためのいけにえ(すなわち、律法に従ってささげられる、いろいろの物)を望まず、またそれらで満足されませんでした」と言い、
9 また、「さあ、わたしはあなたのみこころを行うために来ました。」と言われたのです。後者が立てられるために、前者が廃止されるのです。
10 このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。

8 위에 말씀하시기를 주께서는 제사와 예물과 번제와 속죄제는 원하지도 아니하고 기뻐하지도 아니하신다 하셨고 (이는 다 율법을 따라 드리는 것이라)
9 그 후에 말씀하시기를 보시옵소서 내가 하나님의 뜻을 행하러 왔나이다 하셨으니 그 첫째 것을 폐하심은 둘째 것을 세우려 하심이라
10 이 뜻을 따라 예수 그리스도의 몸을 단번에 드리심으로 말미암아 우리가 거룩함을 얻었노라

メッセージの翻訳文

挨拶しましょう。お会いできて嬉しいです。

今日はへブル人への手紙10章を見ていきたいと思います。今日の御言葉は、10章8節から始まります。実は、聖餐にも関わる重要な御言葉です。

まず、1節から4節まではなぜ旧約の律法やささげものがかけのあるものなのかについて話します。1節で「律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて来る人々を、完全にすることができないのです」と言っています。

律法は、後にくるすばらしいものの写しにすぎません。写しが影にすぎなかったら、これの意味は「影には、実体がある」ということです。これから旧約で予言している影と、影の仄めかしている実体はなんなのかについて見てみましょう。

へブル人への手紙10章5節を読んでみましょう。

5 ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。

この文章をよく見てみると、この手紙を書いた人が旧約を引用していることが分かります。詩篇の40章を引用しています。字幕に頼らないで、今週は御言葉を直接探してみましょう。

詩篇40章

1 私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は私の方に身を傾け、私の叫びを聞き、

2 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。

3 主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。

タイトルには「ダビデの賛歌」と書いてあります。

ダビデが苦難を経験してから作った賛歌のようです。恐らく彼は地獄を彷彿とさせる経験をして、この賛歌を作ったのではないでしょうか。まだその「実体」は分からなくても、それを渡されて、足を巌の上に置かれたと書いてあります。巌は主に「逃げ場」、「拠り所」、「身を隠せるところ」という意味で使われることが多く、ひいてはイエス・キリストを暗示することもあります。

ダビデはこの賛歌を単なる歌ではなく「新しい歌」だと言っています。皆さんのご存知の通り、ダビデはミュージシャンです。野で羊を飼っているときに曲を作っていました。彼はすばらしい演奏者であり、詩人であり、感受性の強い人でもありました。では、この新しい歌というのは、どんなものでしょうか。これまでとは違う歌という意味ではないでしょうか。もうちょっと御言葉を探してみると、詩篇40章3節に彼がこう語っているのがわかります。

3 主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。

歌は聴くものです。しかし彼は多くの人が聴くのではなく、「見る」と書きました。どうやってそれができるのでしょうか。そして、恐れ主に信頼すると書きました。総合的に見てみると、これは間違った文章ではありません。何者かが、ダビデが死の川を渡るためにどこかが変わった彼の姿を見たということです。それはなんでしょうか。一体、彼になにが起きたのでしょうか。

詩篇40章4節から5節を見てみましょう。

4 幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。

5 わが神、主よ。あなたがなさった奇しいわざと、私たちへの御計りは、数も知れず、あなたに並ぶ者はありません。私が告げても、また語っても、それは多くて述べ尽くせません。

ようやく本題に入りました。詩篇40章6節が、へブル人への手紙を書いた人の引用元です。

6 あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めになりませんでした。

旧約からいけにえやささげものを除くと、あとはなにも残りません。これは旧約の時代なら誰も想像できない、革命のような話です。旧約時代を生きていた民の暮らしの中心は、ささげものであるはずなのに、さらにいけにえとささげものをお喜びにならず、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めにならなかったと書いてあります。これはありえないようなことです。そして、ダビデは自分の聞いたことを引用して「巻き物の書に私のことが書いてある」と話しています。ここまでがダビデが聞いた話です。その次に、「わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります」と話しています。神様がいつか来られるイエス・キリストダビデに見せられたのです。メサイアに目を向けさせました。「巻き物の書」とは、未来に来られるイエス・キリストについて記した本です。巻き物とは、旧約聖書を意味します。

旧約聖書が指差しているのは、イエス・キリストです。これまでがダビデが聞いたメッセージです。参考に、もう一箇所見てみましょう。

詩篇51章16節から17節です。

16 たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを望まれません。

17 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。

詩篇40章と同じ内容が出てきます。「神へのいけにえは、砕かれた霊」と「あなたはいけにえを喜ばれません」です。つまり、40章と50章は同じ事件を経験してから、悔いた心で告白を記した本なのです。ダビデは殺人と姦淫を犯した後に、ナタンの叱責によって崩れ落ちます。改めて自分の中に善がなく、罪の中で生まれたことに気づかされます。ダビデはこう告白しています。神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。

詩篇51章1節から3節を読んでみましょう。

指揮者のために。ダビデの賛歌。ダビデがバテ・シェバのもとに通ったのちに、預言者ナタンが彼のもとに来たとき

1 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。

2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。

3 まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。

ダビデは、これから来られるメサイアについて、いつ気づかされましたか。自分の中に善はないということに気づいたときです。我々はそのことによって、裁かれて当然の生き物です。

旧約のいけにえから私たちが学ばなければならないことは、私たちが罪人であることを自覚し、目をさますことです。だから、私たちは欠けのあるいけにえの血ではなく、欠けのないいけにえを必要とします。神様はそれをダビデの耳を通して私たちに教えてくださいます。そのいけにえとは、十字架に欠けられ自らをささげられたイエス・キリストです。旧約の信徒は律法ではなく、キリストの死と贖いによって救われます。信じますか?

今日このメッセージが、聖餐に参加した信徒の心の中に、再び恵みによって救われ、その恵みを体験した人々が新しい歌を歌いながら、神様を恐れ神様に栄光を帰すキリストのメッセンジャーになりますように。アーメン。

성찬식 聖餐式の単語帳(作成中)

성찬식 聖餐式(せいさんしき)に使われる言葉

지금부터  성찬식을 거행하겠습니다.
찬송가 144장 1절을 부르겠습니다.
※讃美歌は章じゃなくて番。
기도하겠습니다.

이 성찬은 예수 그리스도를 고백하는 사람은 누구든지 참여 할 수 있습니다. 그러나 세례를 받았더라도 아직까지 거리낌이 있는분들은 스스로 삼가하는것이 옳습니다.

以下は、上の文章が場内アナウンスすぎるということで下の文章に変更させられた

  • パン・ぶどう酒
  • ご起立の上~お待ちください。
    → 席から立って
  • ご挙手の上~お知らせください。
    → 手を挙げて~
  • ~してくださいますようお願い申し上げます。
    → ~してください。
  • 召し上がった・お飲みになった・ 聖餐を終えた方は、ご着席ください。
    →「座ってください」でいいらしい
  • 聖餐式が終わるまでご着席の上お待ちください。
    →「おかけになってお待ちください」でいいかな?

牧師先生が読み上げる御言葉(うちの教会だけかも知れん)

パンが配られる

이제 배병(성찬빵 나눠주는것)을 해주시기 바랍니다.
모든 성도님들은 다 일어나주시기 바랍니다.

이사야 53:1~2

1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。

2 彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

이사야 53:3~6

3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

막 24:23~24

23 また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。

24エスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。

ここからぶどう酒が配られる

성찬을 마치신분들은 앉아서 조용히 기도해 주시기 바랍니다.

성찬용 떡을 받지 않으신 분들은 조용히 손을들어 표(알려)해주시기 바랍니다.
다시한번 일어나셔서 이제 잔을 받을 준비를 해주시면 좋겠습니다.

이제 배잔(잔 나눠주기)을 해주시기 바랍니다.

이사야 53:7~10

7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれていく羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。

10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

이사야 53:12

12 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。

떡을 받으신 분들 가운데 잔을 받지 못하신 분들은 손을 들어 표해주시기 바랍니다. 성찬을 마치신 분들은 다른분들이 다 성찬을 마칠때까지 앉아서 조용히 기다려 주시기 바랍니다.

(시편22)

締め

찬송가 144장 3절 부르시겠습니다.

기도하겠습니다.

하나님 아버지 성찬주일을 맞아 예수 그리스도께서 우리를 위하여 십자가에서 죽으신 살을 떡으로 기억하고, 흘려주신 피를 잔으로 기억하여 성찬예식을 거행하였나이다.

성찬에 참여한 못한 성도에게까지 성자예수의 십자가의 은총이 새롭게 되게 하신줄 믿습니다. 우리의 삶이 보혈로 매일 매일 구원받는 삶이 되게 하여주시옵소서. 올려드린 찬양과 귀한예물을 열납하여 주시고 온땅에 그리스도의 냄새가 향기로 퍼져가는 복된 인생을 순종하여 주시옵소서.

이제 말씀을 엽니다. 찾아오셔서 임재하시고 권고하여 주시옵소서 주의 자비로운 손길로 철저히 가려주시옵기를 비옵고 예수님의 이름으로 기도하옵나이다. 아멘