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まだまだ勉強中ー

日韓通訳・翻訳の勉強ブログ

[翻訳]3月末、浪人生 

 

 

<翻訳文>

3月末、浪人生 

 3月末、寒さは消え、いたるところに花が咲き始める頃、遠くの南山を見上げながら塾の屋上で休憩を取っていた。春がくるというのに、春を思う存分楽しむことのできない私は大学浪人生だった。朝が来て、春が来ても心はいつも冬の夜のままだった。高校時代に勉強を頑張らなかったことへの後悔とともに、親への申し訳ない気持ちが、いつも私の心を重く押し付けていた。しかし、私の心は苦しんでいても、世の中はいつも通り回り続け、いつの間にか季節は変わっていた。

 そのとき私は、長く続く自分の内と外との不一致、つまり、私の内(心)は寒くて暗くても、世の中には春が訪れ花が咲き、日々暖かくなるという現実が自分を苦しめているということに気づいた。天気が晴れるほど、景色が美しくなるほど、私はもどかしくなる一方だった。夏になり、秋を過ごし、いつになったらこの生活を終えることができるのだろうか。春が訪れても春を感じることができなかった、いや、感じようともしなかったのは、周りの変化によって自分の心が揺さぶられ、簡単な目標さえも達成できないのではないかと心配したためである。数十年前の今頃のことだった。

 

 それから時は流れ、私の願いとはことなり息子も浪人することになった。大学を卒業し、博士課程に申し込んだ息子は、初年にはどの大学からも不合格の知らせを受けた。複数の大学に応募し、入学の許可がでたところの中で自分の好きな大学を選ぶアメリカの入試。その年に息子を受け入れようとした大学はなかった。冷たい現実を突きつけられ、息子はがっかりしていた。私は自分の浪人生活を思い出した。

 大学時代の4年間、まじめに勉強に取り組み、自分の稼ぎで生活していた息子。だから自分を責めすぎずウィークポイントを修正し、1年後に向け再び挑むよう励むしかなかった。その後は望み通り、翌年に博士課程を始めることになったのだが、その前の1年間をいつものように楽しく過ごせなかったのは言うまでもない。

 毎年の3月になると、決まったように浪人生活を送っている学生たちに気が向かってしまう。一度失敗を経験した後、再挑戦の道を歩む彼らには、花々が咲きこぼれる季節のことを、気まずいと思うかもしれない。いつの間にか心が揺らいでいる自分に気づき、自分を責めてしまうかもしれない。大学生になった友達を見ると自分のことがなんだか恥ずかしく、果たして最後までやりきれるかわからず、霧の中をさまよっているように感じたりもするだろう。

 けれども、私たちの人生はそもそも色々の失敗に満ち溢れており、失敗の経験から学びチャンスを掴む時の喜びがいかに大きいものなのかを忘れてはならない。霧の中のような状況下で、なにもかもがはっきりとしなくても、日々のやるべきことを地道に続ければ、今は行方のわからない未来も、いつか自分のものになるということを忘れないでほしい。すべてを投げ出したくなったり、自分が弱気になったと思われるときには、いつかやりたいことをしながら夢をかなえる自分の姿を描いてみてはどうだろうか。実は、今の目の前の悩みが「受験」という形をしているだけで、本当は自分を鍛え、耐える力を育てる時間だということに気づく必要がある。

 1月になり、張り切って新年を迎えたものの、3月になると知らず知らずのうちにゆれ始める私が、昔を思い出し浪人生活を送っている学生のことを思うのは、自分の気持ちを引き締めるためだろう。誰も私にばら色の未来を保障することはできず、まず自分が頑張らないとけっして自分の望む未来を手に入れることはできない。絶えず精一杯の力を注ぎ、あきらめない粘り強さこそが、自分を前に進ませるということを思い出す3月末、私は浪人生である。