日韓通訳・翻訳の単語帳

主にキリスト教(プロテスタント)・ITの用語を収集します。自分の勉強のために単語帳を作って、たまに翻訳もします( ⊙‿⊙)

성찬식 聖餐式の単語帳(作成中)

성찬식 聖餐式(せいさんしき)に使われる言葉

지금부터  성찬식을 거행하겠습니다.
찬송가 144장 1절을 부르겠습니다.
※讃美歌は章じゃなくて番。
기도하겠습니다.

이 성찬은 예수 그리스도를 고백하는 사람은 누구든지 참여 할 수 있습니다. 그러나 세례를 받았더라도 아직까지 거리낌이 있는분들은 스스로 삼가하는것이 옳습니다.

以下は、上の文章が場内アナウンスすぎるということで下の文章に変更させられた

  • パン・ぶどう酒
  • ご起立の上~お待ちください。
    → 席から立って
  • ご挙手の上~お知らせください。
    → 手を挙げて~
  • ~してくださいますようお願い申し上げます。
    → ~してください。
  • 召し上がった・お飲みになった・ 聖餐を終えた方は、ご着席ください。
    →「座ってください」でいいらしい
  • 聖餐式が終わるまでご着席の上お待ちください。
    →「おかけになってお待ちください」でいいかな?

牧師先生が読み上げる御言葉(うちの教会だけかも知れん)

パンが配られる

이제 배병(성찬빵 나눠주는것)을 해주시기 바랍니다.
모든 성도님들은 다 일어나주시기 바랍니다.

이사야 53:1~2

1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。

2 彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

이사야 53:3~6

3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

막 24:23~24

23 また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。

24エスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。

ここからぶどう酒が配られる

성찬을 마치신분들은 앉아서 조용히 기도해 주시기 바랍니다.

성찬용 떡을 받지 않으신 분들은 조용히 손을들어 표(알려)해주시기 바랍니다.
다시한번 일어나셔서 이제 잔을 받을 준비를 해주시면 좋겠습니다.

이제 배잔(잔 나눠주기)을 해주시기 바랍니다.

이사야 53:7~10

7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれていく羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。

10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

이사야 53:12

12 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。

떡을 받으신 분들 가운데 잔을 받지 못하신 분들은 손을 들어 표해주시기 바랍니다. 성찬을 마치신 분들은 다른분들이 다 성찬을 마칠때까지 앉아서 조용히 기다려 주시기 바랍니다.

(시편22)

締め

찬송가 144장 3절 부르시겠습니다.

기도하겠습니다.

하나님 아버지 성찬주일을 맞아 예수 그리스도께서 우리를 위하여 십자가에서 죽으신 살을 떡으로 기억하고, 흘려주신 피를 잔으로 기억하여 성찬예식을 거행하였나이다.

성찬에 참여한 못한 성도에게까지 성자예수의 십자가의 은총이 새롭게 되게 하신줄 믿습니다. 우리의 삶이 보혈로 매일 매일 구원받는 삶이 되게 하여주시옵소서. 올려드린 찬양과 귀한예물을 열납하여 주시고 온땅에 그리스도의 냄새가 향기로 퍼져가는 복된 인생을 순종하여 주시옵소서.

이제 말씀을 엽니다. 찾아오셔서 임재하시고 권고하여 주시옵소서 주의 자비로운 손길로 철저히 가려주시옵기를 비옵고 예수님의 이름으로 기도하옵나이다. 아멘

聖書の「모형」という用語の比較

구약 旧約

수22:28
우리가 말하였거니와 만일 그들이 후일에 우리에게나 우리 후대에게 이같이 말하면 우리가 말하기를 우리 조상이 지은 여호와의 제단 모형을 보라 이는 번제를 위한 것도 아니요 다른 제사를 위한 것도 아니라 오직 우리와 너희 사이에 증거만 되게 할 뿐이라

ヨシュア記22:28
また私たちは考えました。後になって、もし私たち、また私たちの子孫に、そのようなことが言われたとしても、そのとき、私たちはこう言うことができる。『私たちの先祖が造った主の祭壇の型を見よ。これは全焼のいけにえのためでもなく、またほかのいけにえのためでもなく、これは私たちとあなたがたとの間の証拠なのだ。』

신약 新約

행19:24
즉 데메드리오라 하는 어떤 은장색이 은으로 아데미의 신상 모형을 만들어 직공들에게 적지 않은 벌이를 하게 하더니

使徒の働き19:24
それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、

롬 5:14
그러나 아담으로부터 모세까지 아담의 범죄와 같은 죄를 짓지 아니한 자들까지도 사망이 왕 노릇하였나니 아담은 오실 자의 모형이라

ローマ人への手紙5:14
ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型(がた)です。

히 8:5
그들이 섬기는 것은 하늘에 있는 것의 모형과 그림자라 모세가 장막을 지으려 할 때에 지시하심을 얻음과 같으니 이스리되 삼가 모든 것을 산에서 네게 보이던 을 따라 지으라 하셨느니라

へブル人への手紙8:5
その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、それらはモーセが幕屋を建てようとしたとき、神から御告げを受けたとおりのものです。髪はこう言われたのです。「よく注意しなさい。山であなたに示されたに従って、すべてのものを作りなさい。」

히 9:23
그러므로 하늘에 있는 것들의 모형은 이런 것들로써 정결하게 할 필요가 있었으나 하늘에 있는 그것들은 이런 것들보다 더 좋은 제물로 (정결케)할지니라

へブル人への手紙9:23
ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。

 結論

当初は

1.ある特定のものに似せて作った「모형」
모형, 型、模型

2.あるものを作るための鋳型としての「모형」
본보기, 모델, ~にかたどったもの、写し、雛形、型

の二つに分けられると漠然と考えていたのですが、どうやらそうでもないみたいです(笑)何かを模倣したものと、何かを作るための型の境目がはっきりしていないようですが、これは語感の問題なのかも知れません。

まずは「모형」が出てきた脈絡と、スピーカーの言う모형が、どっちの意味なのかを把握し、それに見合った言葉を頭の中で検索して訳す…。という感じですが、キリストの(本物ではない)모형は「写し」や「影」、「かたどったもの」に訳していいと思います。ここでは「模型」というとなにかが違う気がしますね。韓国語の모형は、漢字で書くと「模型」なので直訳しないように注意した方がよさそうです。

韓国語の聖書ではなんとなく一つの単語にまとめられてしまう傾向があるのでご注意を。

気になるところ

韓国語の聖書では아데미의「신상」모형なのに、日本語の聖書ではアルテミス「神殿」の模型になっています。KJVでは「shrines」ですが、shrinesの検索結果はだいたいこんな↓画像でした。鳥居の画像も何枚かありました。

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出所:Shrine of the Virgin | German | The Met

写真や額縁を並べたり貼ったりして、その中心に遺骨や像を置く宗教美術または装飾の仕方だと思ったんですが、辞書によれば「聖堂」や「社」という意味があるようです。つまり、「shrines」とは「神殿」でも「신상(像, statue)」なれる…ということなんですね。

기독교 절기/제사 旧約のささげ物、祝日・祭り

聖書の「제사」はどう訳してる?

「제사」は漢字語なのでそのまま訳すと「祭祀」になります。でもこのままだと通じ合いませんね。聖書ではなく韓国で言う普通の「제사」と同じ意味を持つ単語に訳すと「法事」になりますが、聖書の「제사」というのは「いけにえ(ささげ物)をささげること」です。やっぱり「法事」とは違います。

この「ささげ物」を韓国語に換えるとき、つい「제물(いけにえ)」って言ってしまったりと色々とややこしいので、「제사」が出てきたら迷わず「ささげ物」、「제사 지내다/드리다」が出てきたら「ささげ物をささげる」に訳すことにしています。

旧約のささげもの

소제 穀物のささげ物
번제 全焼のいけにえ(焼き尽くす献げ物)
요제 奉納物
화목제 和解のいけにえ
화제 火によるささげ物
분향 香をたく

祝日・祭り

무교절 除酵祭(じょこうさい)
유월절 過越祭(すぎこしさい)
오순절 五旬節(ごじゅんせつ)、聖霊降臨の祝日、ペンテコステ
맥추절 刈り入れの祭り
수장절 取り入れの祭り、収穫祭

韓国語では「〇〇節」と3モーラだったのが、日本語になると基本5モーラ以上になるからスピードを合わせようと急に早口になったり、重要な内容を言い逃したりすることもあるよね…。

気になるところ

ペンテコステ(Pentecostes)は「聖霊降臨」だそうです。
韓国語では「성령강림(주일)」といいます。使い方からみると、ペンテコステ聖霊降臨というできごとそのものに対しても、五旬節に対しても用いられるんですね。

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出所:ペンテコステ記念礼拝のご案内 | 小樽聖十字教会